港町を歩く~坂越~

坂越浦

 赤穂市の南東端に位置する坂越。全長約2㎞の円弧を描く坂越湾と湾内に浮かぶ生島(いきしま)によって、荒波から守られた天然の良港で、漁業と廻船業で発展しました。

 坂越には5世紀の古墳が存在し、古くから漁業を生業とした集団が居住していたことが分かっています。対岸の生島には、聖徳太子の重臣だった秦河勝(はたの・かわかつ)の漂流伝説も残っています。

 江戸時代には西廻り航路の寄港地として、赤穂の塩を上方や江戸へ運ぶ塩廻船の出港地として栄えました。これにより、海に向かう道沿いに船主の邸宅や寺院、浦会所が軒を連ねるまち並みを形成。大避神社の奉納物や船祭は、廻船業とともに歩んだ歴史を今に伝えています。こうしたことから、2018(平成30)年5月、そのまち並みや生島など文化財7件が日本遺産「北前船寄港地・船主集落」に追加認定されました。

 18世紀末頃から日本海海運を担った北陸を中心とする北前船が盛んになり、その影響で坂越の廻船業者は主導権を奪われ、経営不振に陥る業者も。19世紀以降は、赤穂の塩問屋から塩を購入し、一大消費地である大坂や江戸に運ぶ「塩廻船」として明治期まで続きました。

 西播磨には、坂越浦のほかにも自然の形状に恵まれた良港があり、北前船の寄港地としてにぎわい、多くの西国大名を迎えるなどして大いに繁栄しました。


【写真 / 坂越湾に浮かぶ生島。大避神社の神域として人の出入りが禁止されたため、手つかずの原生林が残っていることから1924(大正13)年、国の天然記念物に指定された。】


坂越のまち並み

 瀬戸内海が眼前に広がり、古き良きまち並みが今なお残っています。千種川と坂越浦とをつなぐ「大道(だいどう)」を中心に栄えました。大道は、千種川と瀬戸内海を結び付け、海上交通のネットワークを形成しました。道は石畳で整備され、白壁の造り酒屋「奥藤酒造」、焼板壁のシックな建物などが江戸時代の雰囲気を醸し出しています。大道を下りきった海岸沿いに「ふるさと海岸駐車場」(無料)があるので、車を降りてゆっくりと散策できます。




坂越まち並み館

 大道のほぼ中央にあります。大正末期の旧奥藤銀行を、景観創造のための拠点施設として整備しました。周辺の名所・旧跡などの観光案内や資料展示をしています。建物内には、米国製の大きな金庫が残され、当時の面影を残しています。

赤穂市坂越1446‐2

0791‐48‐7770
開館時間 10:00~16:00

休館日 毎週火曜(祝日の場合は翌日)、年末年始

入館料 無料




旧坂越浦会所


 坂越浦の行政や商業などの事務を執るため、1832(天保3)年頃に建設。以後、会所として使用されますが、赤穂藩の茶屋としても使われたため2階には藩主専用の部屋もありました。藩主が祭礼見物や釣りなどをしたとの記録が残っています。1992(平成4)年、赤穂市有形文化財に指定。その後、解体・復元工事を経て1994(平成6)年に竣工、一般公開されています。

赤穂市坂越1334
0791-48-7755

開館時間 10:00~16:00
休館日 火曜(祝日の場合は翌日)、年末年始
入館料 無料



大避神社


 生島に漂着し、千種川流域の開拓を手掛けたとされる聖徳太子の重臣・秦河勝を御祭神としています。拝殿前の絵馬殿には、多くの奉納絵馬が掲げられています。毎年10月の第2日曜に行われる坂越の船渡御祭は、約300年の歴史を持つ伝統行事。航行安全を祈願し、神輿を乗せた船行列が神社から生島まで巡行します。宮島の管絃祭、大阪の天神祭と並ぶ瀬戸内三大船祭りの一つです。

赤穂市坂越1299
0791‐48‐8136


妙見寺観音堂


 大避神社そば背後の宝珠山の中腹にあります。真言宗古義派の寺院で、天平勝宝年間(749~757年)に行基が開いたとされます。観音堂は1659(萬治2)年に建立、1722(享保7)年に再建されたものです。観音堂は、京都・清水の舞台と同じで、全国的にも珍しい懸造(かけづくり)。ここから眺める坂越浦は絶景です。観音堂の軒下四面には、干支の彫刻で装飾されています。

赤穂市坂越1307
0791‐48‐0555


まるっと西播磨ストーリー

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