平福陣屋

【小高い場所に立つ平福陣屋】

 

 平福は、江戸時代初期に改修された利神城の城下町として大いに繁栄しました。その後、一国一城令によって廃城となり、いったんは廃れましたが、1640(寛永17)年、山崎城主・松平康映がおいの康朗に5千石を分知しました。以後、一時期を除いて明治に至るまで、旗本の松平氏が領主を務めました。 

 陣屋は平福の町並み西側の高い場所に立ちます。この場所に陣屋を整備したのは18世紀初め、二代康寛のころでした。明治になると小学校として使われ、戦後に平福小学校ができると、跡地は民有地になるなどしました。時の流れとともに陣屋の建物は失われました。陣屋門は唯一残っている建物で、町指定文化財になっています。この門は江戸末期に建てられたといわれています。

 1601(慶長6)年以後に城下町として整備された平福は、1631(寛永8)年に平福藩が廃されたのち、因幡街道の宿場町へと変貌を遂げます。町域も広がるなど町家や宿屋が軒を連ね、大いに賑わったそうです。明治以降、参勤交代はなくなり、新たな道路網の整備、さらには鉄道の敷設など交通体系の発達により、宿場町の役割を終えましたが、江戸末期からの古き良き町家を見ることができます。


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