若狭野陣屋
【西法寺に移転された表門】
1671(寛文11)年に浅野長恒が赤穂藩二代藩主・浅野長友から3000石を分知され、相生市若狭野町に陣屋を築きました。長恒は将軍にも拝謁して旗本に列せられ、浅野家が殿中での刃傷事件で改易された際、謹慎状態になりましたが、許されて直参旗本として幕末まで七代続くことになります。陣屋は3000石の旗本としては豪壮で、1600㎡の敷地に本宅や馬屋、武器庫、倉庫などがありました。
1822(文政5)年、藩財政を助けるために藩札を発行。このため、陣屋の敷地を拡張し、藩札を発行するための札座が建設されました。一時、地域の集会所として利用されていたこともありましたが、老朽化が激しく、今は使われていません。解体の危機にありますが、地域住民らによる保存運動が繰り広げられています。ほかに当時の構造物としては表門が残っており、那波野西法寺(相生市那波野)に移築されました。また、陣屋跡には札座のほか、北側には浅野家の守護神だった稲荷堂と、若狭野須賀神社・薬師堂が並んでいます。
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